Hacker Mind and Japanese Elaborate

ハッカーという言葉を聞くと、コンピューターに侵入する連中のことを思い浮かべる人がほとんどだ。
けどコンピューターの世界では優れたプログラマー達が優れたプログラマーのことをハッカーという。

米国人はソフトウェアを作るのが本当に得意だ。
彼らの精神には「Just do it.」が染み込んでいる。日本人に綿密さが染み込んでいるように。
米国人は何か思い立つとうまくいくとか、世間的にどうだとか、無謀な試みだとか人にどう思われるとか
そういうことを全く気にしない。ただやる。

実はプログラミングにはこの精神がすごく大事だ。
几帳面に見えるだろうけど実はそんなことは全くない。
新しいソフトウェアを創作する上では計画なんて要らない、作って壊すを一気に集中して繰り返すのが重要なんだ。

Appleはそういった精神と日本の綿密さが練り込まれている唯一の企業だと思う。
ハードウェアを作り、CPUを新しくアーキテクトし、箱を開けるとそこには素晴らしいハンダが施されている。
そしてシンプルで画期的なソフトウェアをいくつか作っていると思う。
ジョブズとウォズニアックの魂が今も製品に感じる。

米国にできて、日本にできない理由があるだろうか?
彼らができるはずなら僕達にもできるはずだ。

日本のハッカー達は立ち上がって、日本的でないと思われるようなやり方で、不服従な振る舞いを表に出して物作りを始める必要がある。
最も成功する国は「お国柄」をどれだけ捨てて、突き進めるかだ。

幸いにも僕は米国のベンチャーキャピタルと日本の三大ベンチャーキャピタルから投資を受けることができた。
僕がこの精神を持って、素晴らしいソフトウェアを作ろうと思う。

最後に一つ。
ハッキングと絵を描くことは共有点がある。
ハッカーと画家、作曲家、建築家に通ずるのは良いものを創るということだ。
つまりハッカーは本来自分のプロダクトを立ち上げずにはいられない。
Google, Microsoft, Apple, Hashicorp, Figmaなどの企業がどうやって始まったか調べてみれば一目瞭然だ。

ハッカーはしばし科学者にも間違えられる。
科学者は実験と課題をこなしながら学ぶ。科学をしながら学ぶのではない。

ハッキングは大学なんかでは学べない、10代のころに自分でプログラムを書いて学ぶ。
最初から独自の仕事をする。デバグをし、自分で実装を考え、猛スピードで破壊と再生を繰り返す。

ハッカーはオリジナルから初めて上手になっていく、科学者は上手になることから初めてオリジナルになっていく。

ハッキングには絵を描くのと同じように新しいプロジェクトに1日16時間もそれをやり続けられる。
面白いことにそれ以外の時は何の興味も出ずに何もしない時もある。僕もひらめきがなければ数ヶ月何もしない時もある。
これが大きな問題になることもあるけど、仕方がない。

良い仕事をするにはこの周期を勘定に入れておく必要がある。
マニュアルの車と同じで坂を登る時には時々クラッチを戻してやらないとエンストする。
同じように時々引くことは熱意が止まってしまうのを防ぐのに一番良い方法なんだ。

ハッキングにはバグを残すのも良い。
自分が最終的に勝利を収めるのはわかっているので、完全に制約された問題をただ解くだけである。
プログラムはxをするはずなのにyをしている。どこでおかしくなっているんだろう?
これをデバグして治して終わりだ。
壁を塗るくらいに気楽なことだ。

この歴史の始まりに、2024年始めに登山に行った写真を添えよう。